プーチンの2022年2月23日記者会見

高野孟THE JOURNAL  Vol.541   2022.3.21

《資料2》プーチン2022年2月23日記者会見

{かなり抜粋しました。気になるところだけ残しました。}

{文中、★【】は、高野孟によるもの}

 

 ソビエト連邦の崩壊後、事実上の世界の再分割が始まり、これまで培われてきた国際法の規範が、そのうち最も重要で基本的なものは、第2次世界大戦の結果採択され、その結果を定着させてきたものであるが、それが、みずからを冷戦の勝者であると宣言した者たちにとって邪魔になるようになってきた。

 

セルビア

まず、国連安保理の承認なしに、ベオグラードに対する流血の軍事作戦を行い、ヨーロッパの中心で戦闘機やミサイルを使った。

 

 その後、イラクリビア、シリアの番が回ってきた。

リビアに対して軍事力を不法に使い、リビア問題に関する国連安保理のあらゆる決定を曲解した結果、国家は完全に崩壊し、国際テロリズムの巨大な温床が生まれ、国は人道的大惨事にみまわれ、いまだに止まらない長年にわたる内戦の沼にはまっていった。

 

リビアだけでなく、この地域全体の数十万人、数百万人もの人々が陥った悲劇は、北アフリカや中東からヨーロッパへ難民の大規模流出を引き起こした。

 

 シリアにもまた、同じような運命が用意されていた。

シリア政府の同意と国連安保理の承認が無いまま、この国で西側の連合が行った軍事活動は、侵略、介入にほかならない。

 

 ただ、中でも特別なのは、もちろん、これもまた何の法的根拠もなく行われたイラク侵攻だ。

その口実とされたのは、イラク大量破壊兵器が存在するという信頼性の高い情報をアメリカが持っているとされていることだった。

それを公の場で証明するために、★【アメリカの国務長官が、全世界を前にして、白い粉が入った試験管を振って見せ、これこそがイラクで開発されている化学兵器だと断言した。

後になって、それはすべて、デマであり、はったりであることが判明】した。イラク化学兵器など存在しなかったのだ。

 

 信じがたい驚くべきことだが、事実は事実だ。国家の最上層で、国連の壇上からも、うそをついたのだ。

 

 その結果、大きな犠牲、破壊がもたらされ、テロリズムが一気に広がった。

世界の多くの地域で、★【西側が自分の秩序を打ち立てようとやってきたところでは、ほとんどどこでも、結果として、流血の癒えない傷と、国際テロリズムと過激主義の温床が残された】という印象がある。

 

 ★【NATO1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。

繰り返すが、だまされたのだ。

俗に言う「見捨てられた」ということだ。】

 

アメリカは依然として偉大な国であり、システムを作り出す大国だ。

その衛星国はすべて、おとなしく従順に言うことを聞き、どんなことにでも同調するだけではない。

それどころか行動をまねし、提示されたルールを熱狂的に受け入れてもいる。

 

 我が国について言えば、ソビエト連邦崩壊後、新生ロシアが先例のないほど胸襟を開き、アメリカや他の西側諸国と誠実に向き合う用意があることを示したにもかかわらず、事実上一方的に軍縮を進めるという条件のもと、彼らは我々を最後の一滴まで搾り切り、とどめを刺し、完全に壊滅させようとした。

 

まさに90年代、2000年代初頭がそうで、いわゆる集団的西側諸国が最も積極的に、ロシア南部の分離主義者や傭兵集団を支援していた時だ。

当時、最終的にコーカサス地方の国際テロリズムを断ち切るまでの間に、私たちはどれだけの犠牲を払い、どれだけの損失を被ったことか。

どれだけの試練を乗り越えなければならなかったか。私たちはそれを覚えているし、決して忘れはしない。

 

 色々あったものの、★【202112月、私たちは、改めて、アメリカやその同盟諸国と、ヨーロッパの安全保障の原則とNATO不拡大について合意を成立させようと試みた。

すべては無駄だった。

アメリカの立場は変わらない。】

彼らは、ロシアにとって極めて重要なこの問題について私たちと合意する必要があるとは考えていない。

自国の目標を追い求め、私たちの国益を無視している。

 

 私たちは、1940年から1941年初頭にかけて、ソビエト連邦がなんとか戦争を止めようとしていたこと、少なくとも戦争が始まるのを遅らせようとしていたことを歴史的によく知っている。

そのために、文字どおりギリギリまで潜在的な侵略者を挑発しないよう努め、避けられない攻撃を撃退するための準備に必要な、最も必須で明白な行動を実行に移さない、あるいは先延ばしにした。

 

 最後の最後で講じた措置は、すでに壊滅的なまでに時宜を逸したものだった。

その結果、1941622日、宣戦布告なしに我が国を攻撃したナチス・ドイツの侵攻に、十分対応する準備ができていなかった。

敵をくい止め、その後潰すことはできたが、その代償はとてつもなく大きかった。

大祖国戦争を前に、侵略者に取り入ろうとしたことは、国民に大きな犠牲を強いる過ちであった。

最初の数か月の戦闘で、私たちは、戦略的に重要な広大な領土と数百万人の人々を失った。

 

 もちろん、問題はNATOの組織自体にあるのではない。

それはアメリカの対外政策の道具にすぎない。

問題なのは、私たちと★【隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。

それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されて】いる。

 

 

 前にも述べたとおり、ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、新たな地政学的現実を受け入れた。

私たちは、旧ソビエトの空間に新たに誕生したすべての国々を尊重しているし、また今後もそのようにふるまうだろう。

それらの(訳注:ソビエト諸国の)主権を尊重しているし、今後も尊重していく。

 

 その例として挙げられるのが、悲劇的な事態、国家としての一体性への挑戦に直面したカザフスタンに対して、私たちが行った支援だ。

 しかしロシアは、今のウクライナから常に脅威が発せられる中では、安全だと感じることはできないし、発展することも、存在することもできない。

 2000年から2005年にかけ、私たちは、コーカサス地方のテロリストたちに反撃を加え、自国の一体性を守り抜き、ロシアを守ったことを思い出してほしい。

 2014年には、クリミアとセバストポリの住民を支援した。

2015年、シリアからロシアにテロリストが入り込んでくるのを確実に防ぐため、軍を使った。

それ以外、私たちにはみずからを守るすべがなかった。

 

 ドンバスの人民共和国はロシアに助けを求めてきた。

これを受け、国連憲章751条と、ロシア安全保障会議の承認に基づき、また、本年2月22日に連邦議会が批准した、★【ドネツク民共和国とルガンスク人民共和国との友好および協力に関する条約を履行するため、特別な軍事作戦】を実施する決定を下した。

 

 その★【目的は、8年間、ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイドにさらされてきた人々を保護することだ。

そしてそのために、私たちはウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指していく。】また、ロシア国民を含む民間人に対し、数多くの血生臭い犯罪を犯してきた者たちを裁判にかけるつもりだ。

 

 ただ、私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない。

私たちは誰のことも力で押さえつけるつもりはない。

 

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Date: Mon, 21 Mar 2022 10:30:00 +0900 (JST)

 

2014年のキエフのクーデター直後から始まったウクライナの内戦状態の中で、最東部ドンバス地方のロシア系市民の比重の大きいドネツクとルガンスクの2州で戦闘が激化し、独立してロシアへの併合を求める住民投票も行われたが、プーチンは(クリミアの場合とは峻別して)それを押しとどめ、彼らがあくまでもウクライナ国家の内で一定の自治を実現すべきとして、14年9月にウクライナ、ロシア、両州の4者による「ミンスク議定書」を結んだ。

 

しかしこれは双方の違反で破綻し、その後何度も停戦合意に至りながらも(一説には29回!)成功せず、この事態に至る前でも、攻撃用ドローン、重装備、ミサイル、大砲、および多連装ロケット砲などでドンバスが爆撃されない日は1日もなく、民間人の殺害、封鎖、子供、女性、高齢者を含む人々への虐待は容赦なく続いている(下記プーチンの2月21日メッセージでの言い分)という状況があった。

それどころか米国は、「日刊ゲンダイ」18日付が伝えるように、「戦争広告代理店」を使ってゼレンスキー大統領の各国議会での演説を演出し、全世界的な世論操作を展開している。

 しかしこんなことは米国がずっとやってきたことで、例えばイラククウェート侵攻の際に病院で涙ながらに訴える少女の映像がやらせだったとか、サダム・フセインのミサイルで流れ出した石油に塗れて動けなくなった海鳥の画像が別のタンカー事故のものの転用だったとか、いずれも米広告代理店の仕業だったとされている。