『後進国』としての日本 [2004-4-21]

後進国』としての日本

[2004-4-21]

○ 松本サリン事件の時

河野さんが容疑者扱いされた松本サリン事件発生
の初期の頃、河野さんの弁護士を買って出た、
弁護士の元へ いやがらせ電話が相次いでいる。
という報道があった。

法治国家である日本では、いかなる犯罪を犯した
犯人であっても、法廷弁護人が付き、所定の裁判
手続きを経て、罪が確定する。
そんな当たり前のことは、理屈では判っていても、
「なんで、そんな、”悪人”の弁護をしようとす
るのか」と抗議の電話を当時の日本人はその弁護士
に対して、かけた。

河野さんが”悪人”である根拠を生み出したのは、
あいまいな情報を元に容疑者を推定していた長野
県警であり、その発表をそのまま、報道した報道
であり、TVニュースであった。

河野さんは犯人であるどころか、自身の妻をも
重病人にさせられてしまった被害者であり、
「えん罪」であったことが明確になった現在、
『電話』をかけた人たちは、自分の行為を
どう思うのだろうか。

「河野さんを疑った警察が悪い、警察の情報を
鵜呑みにした報道陣が悪い。それに警察や新聞、
tv報道を疑い始めたら、私達は何を信頼して
行動すれば良いのか。」

そうした意見にも一理あるかもしれない。
しかし、大切な点は、「個人が個人に電話を
した」という行為にあると思う。
自分の行為に責任を取る。
そうした当たり前のことがもしできる人たちであるならば、
個人に非難の電話をした後、えん罪であること
が判ったならば、謝罪の電話を入れるべきだろう。
そして、信頼性の低い情報を根拠に行動した
自分の不明を恥じるべきだ。
そして、信頼性の低い情報を発信した、メディアや、
警察を非難すべきだ。
情報を自分の目で見て、自分の言葉で、発信する。
判断する。そうした自覚の有る者は、
決して、河野さんや彼の弁護士を非難するような行為に至らないはずだ。

○ 山の遭難と今回のイラク行きの3人

安倍(自由民主党)幹事長は、3人解放から一夜明けた16日に、
「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求するこ
ともあるとの意見もあった」 と言ったらしい。

まずい。と思った。日本人の得意の非難の電話が始まる
。。と思った。

個人と個人がつながってこそ、国際交流だろう。
江戸時代ならいざしらず、個人渡航や通信技術が
発達した現在では、個人対個人のつながりがある
からこそ、その国に関わる理由が生まれるのだろうと思う。

そうした個人の渡航の願いをいかにサポート、
実現するか。それは政府の重要な仕事だ。

 イラクは危険である。できる限り現時点では、
 渡航すべきではない。でも、どうしても行きたいのなら、
 自己責任でお願いしたい。でも、万が一のことがあれば、
 政府は最大限の力を発揮してあなた方を守る。

そういうのが政府じゃないのか?
個人が国境を越えて、個人とつきあいたいという時に、
国としては、それを支援こそすれ、非難する根拠があるまい。

今回も、高遠さんが、「イラク人のために働いて
いる人である」証拠を真っ先にイラク人に伝え、
高遠さんは、あなた方の敵ではなく味方だ。
と一生懸命伝えようと努力したのは、他でもない
NGOなどの民間グループだった。
政府は今回、いったい何をしたのだ。

3人に対して、私は尊敬と感謝こそすれ、非難する
気持ちにはなれない。
何故かというと、3人は、「イラク」の現状を
「自分の目で見る」ために出かけている3人で
あるということだ。

もし政府が、3人を救出するために、税金がか
かったと口にするのならば、同じ税金を私用した
収賄罪などの政治犯罪者にも同様に口にすべきだろう。
でもそれは、政府関係者が言うべきではなく、
税金を支払う国民が言うべきだ。

今回、人質事件をきっかけに、高遠さんの活動が
イラクの国民に紹介され、「日本の民間人は、
イラクの子供達のために、活動してくれている。」
という認識が広まり、「日本国」は株を上げたはずだ。
イラク人道支援をしたい。」その気持ちが少し
でもあるとしたら、ファルージャで殺戮を繰り返す
米国兵のケツを拭く自衛隊の活動よりも、
どんなに、高遠さんの活動の方が、「確実」な
人道支援という目的達成手段だったろうか。

自分の目で確かめ、自分で考え、自分で行動しよう
とする個人を、日本人は、異質な者として排除し、
「政府」や、「報道」や、「マスメディア」などの
「公的」な道具を通じて、自身の行為を正当化し、
それらを盾にして、「不特定多数の闇」にまみれて、石を投げる。

嫌な国だ。

イラクの先に何があるのか、
想像する努力もせず、
本人や家族に対して、
世間は闇から石を投げる。

あなたは自分の行動に責任を取れるか。。


ペシャワール会中村哲

2001年12月4日武蔵野公会堂で行われた中村哲の講演会で、
彼は、
ペシャワール会の物資輸送のために使っているトラックには、
 いまは、日の丸のかわりにハトの絵が貼ってある。」
と語ったそうだ。日本は、[アメリカの行っているテロ]の
支援をしているため、狙撃される危険性があるからだ。

中村哲は、アフガニスタンパキスタンの国境の近く、
ペシャワールで、医療活動を続けている
NGOの代表を務める医師である。
このことは、個人と国家の関係を考える上で
非常に重要な問題を提起していると思う。
中村哲が、アフガニスタンに赴いた時、
そもそも医療設備を作るために行ったようである。
しかし、実際は飲み水さえも確保できない土地であると分かり、
井戸掘りから始まった。活動の大半が、ひたすら井戸掘りに費やされた。
そうした中村の活動が現在まで地道に続いていることは、
個人の強い意志によるものが大きく、とても、
日本国、対、アフガニスタンという国対国の
外交の一環で行える行為ではない。

ペシャワール会WebSiteの言葉は象徴的だ。

http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
(旧 http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/
「誰も行きたがらない所に行き、誰もやりたがらないことをする」
私は中村氏の行動を心から尊敬する。
自分には、家族や子どもが居て、仕事や地域のことに
精一杯だから、そうした活動はできないにしても、
何か支援できることがあればという気持ちでいる。




○ 外務省の押すボタン?

イラク戦争への参画騒ぎをきっかけに外務省を去った天木氏は
書籍「さらば外務省」の中で、
外務省の内部組織が「単なるムラ社会」となっていて、
日本が今後世界でどのような位置を占めるのか、
ビジョンや理想を語る場に成っていない、と嘆いていた。
米国寄りの姿勢を維持していれば、昇進できる
事なかれ主義が外務省を支配している。と。

外務省にしてみれば、中村哲のような存在は
ケムタイ存在だろう。外交官として、「日本国」の
看板を背負っている外務省は、自分のなわばりを
荒らされた気分なのだろうか。
アフガン支援の時、NGOのピースウィンズジャパンの活動を
鈴木宗男氏が妨害したと一時期騒ぎになったが、
あれも要するに、外務省が、NGOなどの
民間人による活動を煙たがっている証拠なのだろうと思う。

鈴木宗男田中真紀子の「天敵」同士の戦いは記憶に新しい。
結局あれも、「スズキムネオハウス」というメモを
共産党にリークした「外務省」の仕業だった。
日本の茶の間は、見事なエンターテインメントを外務省に
よって提供され、楽しみ、そして、「彼ら」の天敵2人を
同時に政界から抹殺することに手を貸した。
世間を巧妙にコントロールしたと思う。

今回の高遠さん始め人質になった3人へのバッシングについても、
何か、外務省の巧妙な誘導を感じる。
外務省は、日本人の「体質」を熟知していて、
その「バッシングボタン」を押しただけなのかも知れない。




○ 日本が世界で何を担うのか

日本が世界で何を担うのか。
その答えは、個々人の活動を支援する形でしか見つからない
のではないだろうか。公共事業の費用対効果の視点が
厳しくなる時代に私たちは生きている。
自衛隊は、何のことはない、形を変えた公共事業だ。

公共事業の重要性を訴える情報源が、日の丸だけになった時、
どんなことが起きるのか。私たちは、田中角栄以来良く知っているはずでは
ないか。
今、イラク自衛隊を税金を使って派遣する。
その現地の生の声を拾おうとする民間人の活動を排除し、
取材しようとする活動を排除し、
イラクに関する情報源が日の丸だけになった時、
イラク人道支援のためだからね」と税金の出費を黙認するのだろうか。

国連決議も待たずに戦争を強行した米国が、ファルージャ
600人もの民間人を巻き込んだ殺戮を繰り返していることを
知ってもなお、その米兵のケツを拭くために、日本人は、税金を
投入し続けるのだろうか。

危険を承知で現地の人のために尽くそうと動く日本人が居る。
そのことだけでも、私は誇りに思うし、支援したいと考える。
ナオコ ガンバレ。
バッシングなんかに負けるな。




○ 健康ブームとセカンドオピニオン

健康ブームで、「セカンドオピニオン」という流れがある。
主たる医師の診断結果を受けた後、2番目の医師にも
診断を受け、2つの意見を参考に自分で判断すると
いう方法のことである。

もし、「えっらそー」にしている医者がたった1軒しかない
「ムラ」で、ある患者がその医者の診断に疑問を持ったとします。
隣りムラの評判の良い医者に改めて診療してもらう
なんてことをやったら、最初の医者の反感を買うことでしょう。

次に自分や家族が最初の医者にかかった時、
親切に面倒を見てくれないかもしれないどころか、
意地悪をされるかもしれない。
それを恐れて、「セカンドオピニオン」なんて
考えつきもしないかもしれない。

何故今、当たり前にそれが言われるようになったか。
それは、医師の数が十分足りて、患者の方が相対的に
強くなったからである。また、セカンドオピニオン
いう方法を支える知識データベースや支援体制が充実
してきたからである。

医療技術が専門化、高度化し、クオリティーオブライフと
治療にかけるコストを天秤にかける判断が個人に求め
られる時代になったからだ。(追記2016/7/1)

よって、「医療事故」が増加しているのではない。
「えっらそー」にしている医者に対抗する患者や家族が
増加したのである。この現象は明らかに『豊か』である。




○ 豊かさとは何か

日本の国は戦後豊かになり、さまざまな機能を持ちつつある。
交通機関が整備され、どこにでもいける「足」の拡張機能を持った。
携帯電話などの通信機器が整備され、世界中どことでも、
やりとりできる「目」と「耳」の拡張機能を持った。

これらの足や目、耳を拡張してきた歴史は、
組織に頼らず、個人が行動するための
自由を獲得してきた歴史であると言える。

しかし、その日本でも、肝心な豊かさはまだ発展途上である。
それは、「脳」の拡張機能である。
組織に頼らずに、個人が「判断」するための
必須機能としての「脳」の拡張機能である。

考えるためには、情報の入力が必要だ。
それも単調な入力ではなく、さまざまな視点からの熟慮した
考えや事実情報を受け入れて初めて、考えるための材料が揃う。
個人が自分の責任で判断できる環境が整う。

「脳」の拡張機能を持つという『豊かさ』において、
多様な情報源を確保するということは必須である。




セカンドオピニオンとしてのNGO

「政府」のセカンドオピニオンは、NGO(非政府組織)だ。
政府のルートとは、別のルートで、情報を収集し、
別のルートで資金を得て、活動を続ける。

国が豊かになれば、当然の流れである。その動きを支えるように、
NGONPOに対する寄付金を一部納税として扱う動きが日本にも起きた。
ようやくである。
ごく一部の認定されたNGOではあるが、
その認定されたNGOへの寄付は納税として認め
られるようになった。

よって、安倍(自由民主党)幹事長が口にした、
登山と今回の3人のイラクでの活動の比較は、次元が違う。
山の遭難での救助費用については、国が個人に請求すべきだが、
今回の3人に請求すべきではない。

それは、日本国民にとって、自己決定するための情報源を絶つ
ことに相当する。個人が思索し決定する尊厳を歪める結果となる。
憲法が保障する「文化的」とは何なのか。。良く考える必要がある。




○ 『後進国』としての日本

もし、イラクで人質になった3人の救助費用を
政府が請求することを私たち国民が許すとしたら、
安田さんら人質にイラク人が質問した言葉、
「日本は良い国か?」に対して、
私だったら「No」と答えることだろう。

 日本は確かに戦後、豊かになった。
 しかしそれは、みかけの土建的インフラストラクチャ、
 つまりハード面のみである。

 個人が自分で考えるための材料が揃う国、
 つまりソフト面としては、残念ながら、
 日本は、まったくの『後進国』だ。。
と。

あなたは、『後進国』の『野蛮人』をまだ続けるのですか?


(追記)
[アメリカの行っているテロ] とは:

https://twitter.com/isezakikenji/status/1428243626874658817


国連決議によるISAF国際治安支援部隊」ではなく、わざわざ米・NATOの集団防衛によるOEF「不朽の自由作戦」の中の「インド洋海上阻止作戦」に自衛隊を派遣した「参戦国」である

https://twitter.com/isezakikenji/status/1395207932732592130


テロ特措法による自衛隊のインド洋作戦は、日本への「美しい誤解」を完全に崩壊させ、現場で働く日本のNGOがソフトターゲットになると警告している。翌年ペシャワール会伊藤和也さんが犠牲となった。