伊能忠敬(1745-1818)

こないだ、TV番組『しくじり先生』の話題は、伊能忠敬(1745-1818)でした。
彼は、漁師の息子だったけど、頭が大変優れているとのことで、一人娘しかいない伊能家の婿養子になった。
米など問屋業だったが、商売に才覚を発揮し、現在の金額にして35億円の売上を達成。千葉県から江戸まで船で販路を拡大した。
その人望を買われて村の村長になる。
その在任期間中に、浅間山が爆発する(1783.8.5(天明3年7月8日))。
それがきっかけで飢饉になり多くの人が飢えて死ぬが、伊能忠敬は米を放出して村人を助ける。
その結果、帯刀を許され武士になる。
そのまま隠居を続けても良い歳、50才になってから、
子どもの時からの夢を諦めきれずに、息子に後継を譲って、
一人、江戸の天文学の師匠に志学する。
目的は、地球の大きさを知ることだった。

しかし、測量をするためには、当時、脱藩しないと移動の自由は得られない。

天文学の師匠の薦めで、全国地図を作る、という目的を江戸幕府に談判し、まずは北海道の地図を作る。
あまりに正確な地図だったので、江戸幕府は全国の地図を作るように伊能忠敬に指示する。
それから、20年間にわたり(何と70才まで)6回ほど、長旅の遠征を行い、全国のマップを完成させる。

70才になってもその勢いは止まず、伊豆七島に測量にいこうとして 遺書まで書く。さすがに、娘の逆鱗触れ諦める70才まで現役だった。

そうやって、最初の夢、「地球の大きさを知る」は無事結論を出す。
3万9千850km なんと、現在の正確な測量との誤差は、ー0.375%、とんでもない御仁でした。

フランスがメートルを取った時、北極と南極を通過する地球の円周は、4万kmと定義された。(イギリスは、経度の原点を取った。グリニッジ。)

(以上、伊能忠敬のネタは、オリラジのあっちゃんです。)