高木仁三郎さんのこと

高木仁三郎さんの講演を聴いたのは確か1980年頃だったと思う。
聡明で誠実な人だった。
「毎日毎日、暗い洞窟で宇宙からやってくる放射線を数えながら、自分はいったい何をやっているんだろうと思った。」
転向した理由を語る高木さん。

彼の講演を聴いたことをきっかけに、彼の著作を読み始めた。

当時、竹村健一始め、原子力発電推進の論説は絶大だった。
高木仁三郎氏は、たった一人で立ち上がり、戦っているように見えた。
やがて、田中三彦氏も加わった。
それでも、推進側の力は絶大だった。

広瀬隆氏が登場した。
「東京に原発を」
非常に明快な論理だった。
また、当時パソコン通信時代、海外のデータベースを駆使し、国内のジャーナリズムが知らない事実を根拠に次々と論説を展開していった。

でも、それでも、推進側の力は絶大だった。

原発に反対する或る人は、当時、密かに思ったという、
「考えてはいけないことだけど、日本から遠いどこか他の国で原発事故が起こり、、
それをきっかけに日本でも原発建設の見直しが始まってくれれば。」

スリーマイルが起き、
チェルノブイリが起き、
でも、日本の政策は変わらなかった。

今だからわかるけど、ようするに、世界標準の2倍の価格の電気料金をせっせと支払う国民の電気代総額1500億円/年をTVやマスコミに注ぎ込んで(%1)黙らさせて来た。
国会議員を懐柔し、反対勢力を押さえ込んできたわけだ。

1985年だった。
松本市を拠点に活動する人形劇一人芝居の素敵な女性が居る。
彼女は、毎年春になると、詩と素敵な水彩画の作品の展覧会をしていた。
私は、とある人との出会いを描いた詩の絵のまえで、突如溢れ出る涙を止められなくなりその絵を購入した。

どうやら、その男性とは、(まだ彼女に確認した訳ではないが)
薬害エイズで無くなった写真家 石田吉明さんとの出会いを書いた詩だと確信した。

1996年、菅直人さんが謝罪した時には、既に石田さんは亡くなっていた。
でも、きっと天国で喜んでいただろう。

今回の管総理大臣の浜岡原発の停止要請の記者会見をTVで観て、ふと、高木仁三郎さんのことを思い出した。
高木さんも天国で喜んでいるだろう。

(%1)東京電力1社が広告に支払った金額は116億円(2010年)
http://twitter.com/#!/iwakamiyasumi/status/85566443248295936