宮台真司x飯田哲也:原発社会からの離脱

宮台真司飯田哲也原発社会からの離脱, 講談社現代新書(2011.6.20)

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宮台>明治22年公布の明治憲法下では(略)高等文官試験を通ると天皇に直結する役人として身分が保証され、役人を誹謗中傷したら讒謗律(ざんぼうりつ)によって処罰されました。

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宮台>田中角栄アメリカ発の事件で嘱託尋問調書という形で反対尋問権もない不思議な裁判によって田中角栄の有罪が確定して葬られる。

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宮台>団塊世代)日本の左翼は、「あのころはみんな左翼病だったよね」
「わかいうちにかかるはしかのようなもの」ということで終わってしまう。

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宮台>行政官僚による情報操作をキャンセルするには、小さな統治ユニットでの共同体自治が不可欠です。

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宮台>慣れ親しみ vs 信頼(==丸山真男 作為の契機)
自分達が営んでいる社会を変える必要が有るかどうかに自覚になれる

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宮台>慣れ親しみに(よる習慣は、自分達の習慣への批判に対して)「我々の営んでいる日常にケチをつけるのか。」(と反応する。)

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飯田>神戸製鋼は(組織が小さい故に)一人何役もやななければならない。
日本の技術のダンジブル(肌触りのある)な前線。
オウム真理教の村井秀夫は、飯田の同期。

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飯田>IAEAのルールを日本に取り入れるという仕事をやった。
20代で生き字引に。
通産省運輸省科学技術庁、郵政省の担当者に教育した。
飯田学校と呼ばれた。

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飯田>神戸製鋼に戻って、「何を手がかりにして生きていけばいいのか」と高木仁三郎武谷三男の著書をむさぼり読む。

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飯田>トーマス B.ヨハンソン、1980年代のスウェーデン国民投票で「原発を全廃して、自然エネルギーに転換できるんだ」というビジョンをリードした学者の研究室に籍を置かせて盛られることになりました。

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宮台>(宮台による飯田氏遍歴のまとめ)

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飯田>いま30歳代とか40歳未満ですと、今度は青年将校みたいになって、強硬な推進論を屈託無く「オレの選んだ道なんだ。ウダウダ言うな。」というタイプ。

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飯田>高木さんは今も尊敬しているのですが、(略)
高木さんはあまりにもストイックで高潔でとても自分にはできない。

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飯田>クリーンバーン燃焼方式(ストーブのこと。)

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飯田>1987年 ブルントラント委員会(環境と開発に関する世界委員会)が出した報告書(「地球の未来を守るため」)が、「持続可能な発展開発」を国連が最初に認めたレポートです。

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飯田>使命感をもって「これは自分のミッションだ」と腹に落として実行する。
そういうレスポンシビリティ(責任感)が欠けていて、与えられた仕事しか持っていない。
SPEEDI(の例)

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宮台>「空気に抗えない」という「ムラ的共同体原理」

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宮台>(今回の震災の後の言論は)社会の動き自体を科学的に反省するという動きが欠けていて

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飯田>(環境エネルギー革命の10年)

page-102【スウェーデンのNOx課徴金】
飯田>
発生した有害物質を外部に排出しない End of pipe、
comand and controll(命令管理)的なやりかたではなく、
市場メカニズムで取り込んだ。
スウェーデンのNOx課徴金。
日本だと「いくらカネをかけても構いません。」
という考えのもと、NOx除去装置を全発電所に設置するという、
まさに comand and controll と End of pipeの象徴のような対応です。
スウェーデンの場合「いくらNOxを出してもいいよ、でも課徴金をかけるよ」
「出さないところが総取りだよ」という具合です。
方法にも、時期にも柔軟性があるので、極めて効果的であるうえに行政コストはゼロ。

page-103
飯田>「政策を知識で組立ててゆく。」という発送が、ヨーロッパにおける80年代から90年代の転換を生んだと考えている。

page-106
飯田>私が原子力に一番疑問をもったのは、原子力という技術ではなくて、原体験なんです。
いわゆる田舎で開発される側、社会の最底辺へのシンパシーがある。
原子力を研究開発している側は善意で事業を進めるのですが、みんなに共通しているのは「上から目線」なんですよ。

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飯田>(民主党の)マニフェスト原子力推進ではなかった。

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飯田>2000年の電力自由化論争で問われたのですが、原子力とは巨大な設備投資をして長期的にコストを回収するうえ、しかも安定的に電気を消費してもらわなければならない。自由化のような市場をつくると困る。しかも核のゴミを処分していかなければならない。だから、独占市場がないと、この大切な原子力産業を育てられない。これが独占と原子力を結びつけたのだと思いますね。

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飯田>2001年4月 福島県佐藤(栄佐久)知事 エネルギー政策検討会を立ち上げた。

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飯田>2004年に六ヶ所村の再処理工場をめぐる「経済合理派vs原子力ムラ」の闘い。

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飯田>電力ムラでは有名な話。電力が本気になったら経産省事務次官や局長の首を飛ばす。

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飯田>(何年?)257名の超党派議員連盟に拡大し、あと一歩で自然エネルギー促進法が成立するところまでたどり着いたのですが、経産省と電力会社のブロックに阻まれて。

page-130
飯田>インドネシア。知のオープンフォーラム。
(日本で相変わらず)役人、学者、落としどころ、江戸時代のような意志決定文化。

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宮台>市場経済の規模が縮小したとしても、便益も、幸福度さえも実質的には上げられます。
日本人にとっては初めての政治生活。

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宮台>行政官僚の関心は人事と予算。

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飯田>東京都 大野輝之環境局長 ディーゼル車NO。
(彼の功績により)ヨーロッパ的な知的蓄積的なことが可能となった。

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飯田>佐藤前知事のころ。福島県は担当者を異動させないで続けて担当させていました。

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飯田>民主党はもともと電力総連と電機連合の力がとても強く。

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飯田>孫正義さんの自然エネルギー財団は、これから日本のエネルギー政策に大きな影響を与えるでしょう。

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飯田>福島県の最大の成果は、2002年にまとめたエネルギー政策検討委員会の中間報告です。
これは非常に分かりやすいレポートです。これは今でもWebで見ること画できます。この文書は全国民が読んだほうがいいものです。

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飯田>政策作りの人を適所に長期間しっかりとあてて知識だけではなく、ネットワークがそこにぶら下がるようにする

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宮台>
大多数の国民が原発に関して「もっとちゃんとやれ」と言っているので、電力会社が「もっとうまくやります」と約束する。これで手打ちになってしまう可能性もあります。
そこで本書のポイントのひとつですが、「もっとちゃんとやれよ」ではなく、「自分たちでちゃんとやります」と、ヨーロッパがチェルノブイリ後に「食の共同体自治」に加えて「エネルギーの共同体自治」に向かったように、新しい選択肢を僕らが手にしていることをちゃんと意識して、それを選ぼうではないか、と呼びかけたいわけです

page-173
飯田>市民出資で風車。
2001年はまかぜちゃん。浜頓別。

page-174
飯田>サムソ島とまほろ
長野県飯田市おひさま進歩エネルギー

page-178
飯田>小島敏郎 青山学院大教授

page-181原発埋蔵金
飯田>原発埋蔵金
再処理等積立金 というまったく使うあてもなく使う必要もない悪貯金が2.5兆円ある
更に毎年5000億円も積み上がってゆく。

page-182
宮台>東電は巨額の資産を売却した上で損害賠償のための資産管理会社になるのが合理的。
東電の電気料金転嫁などありえない
飯田>ありえないことですよね。

page-184
飯田>CSP 集光型太陽光発電。(中央にタワーが建っていて、その周りを鏡が取り囲んでいる)
スペインのセビリアで1万6000kWの実証プラント。

page-185
飯田>将来的には、蓄電池機能、あるいは出力調整機能のクラウドが間違いなくできます。

page-187【政権交代直後の民主党がやるべきだったこと】
飯田>霞ヶ関を脱藩覚悟で動いていた「維新の会」の元気な官僚たちは、政権交代の前から民主党にアドバイスをしていたのですが、結局あんな大臣任命だったので既存の官僚組織がそのまま残ってしまい、彼らは居られなくなって、辞めてしまいました。あれは酷いと思った。
霞ヶ関を一番よく知っているのは霞ヶ関官僚なのですから、彼らを補佐官に任命して腕を振るわせたら、いろんなことができたはずです。でも、まったくしなかった。

page-189
宮台>日本の場合は唯一絶対神的な他者性がないので、「自分たち以外からの見え方を想像しなければ生活を営めない」とは思わない。

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宮台>ルース・ベネディクト:「菊と刀
「日本は狂信的なナショナリストだらけだと聞いていたけれども、捕虜を捕まえてきて風呂を使わせて飯を食わせると、その日のうちからペラペラと極秘事項を喋り始める。不思議なことに、狂信的なナショナリストは誰一人いなかった」

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飯田>ISEP
フルタイムで4~5人
インターンで30~50人

page-199
飯田>
講演会を聞きに来られる聴衆の人たちは本当に勉強熱心。しかし、自分たち自身が社会を構成する当事者としての意識を持ち、責任を持ち、発言し、行動するのだろうか


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