木村草太 沖縄で憲法を考える


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160410-00000011-okinawat-oki

木村草太氏(首都大学東京教授)
講演会「沖縄で憲法を考える」
(主催・沖縄タイムス社、連合沖縄)
2016年3月31日、
那覇市久茂地のタイムスホール

講演全文
憲法は何のために
立憲主義と国家
■差別されぬ権利
集団的自衛権問題
普天間移設・辺野古基地建設問題

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憲法は何のために

国家権力の失敗を繰り返さないための仕組みが憲法なんだというのが一番分かりやすいと思っている。


前近代的国家秩序というのは暴力を独占している人がどこにもいない秩序なので、どういうことが起きるか。けんかが起きると殺し合いになる。そういう世界ということになる。

立憲主義と国家

国家権力の三大失敗というのは
無謀な戦争、
人権侵害、
独裁、
いずれも三大失敗として記憶される。


独裁。
だいたい国家権力はほとんど独裁を始める。どこの国家権力も一緒だが、始まるとまず独立した裁判をやらせなくする。次に、権力者に従わない新聞社やテレビ局なんかがいじめを受けた時に裁判所が救えないようにする。そんなことから始まって、司法の独立を侵したり、国会で議論するのは面倒くさいので、国会の権限を全部政府に移してしまうというようなことをやったりする。


こうした三大失敗を何とか繰り返さないようにしようと、まず憲法という法律を作り、憲法の中に
軍事力のコントロール
基本的人権の保障として権力分立
という、三大失敗を繰り返しませんというルールを書き込んでこれを守らせようとする。これが立憲主義という発想だ。


憲法の構造を見ると、98条では国の最高法規だと。この条文に違反するような法律や命令は全て無効だと宣言している。
 この条文は非常に重要


97条
この憲法は、人権保障という極めて重要な役割を担った法典で、だからこそ最高法規でなくてはいけないんだということが構造として書かれている。

■差別されぬ権利

20世紀半ばから法律家は差別されない権利、
平等権とはまたちょっと違う、
特定の人種を分離するような、迫害するような法律は差別されない権利の観点から、また別に検討されないといけないという観点から始まり、この観点から議論が始まった結果、人種差別、差別を背景にした社会制度がどんどん憲法違反にされてきた経緯がある。

集団的自衛権問題

集団自衛権の行使が合憲だという人たちも昨年、何人かいらっしゃった。(略)彼らが言っているのは、結局、
集団的自衛権を行使してはいけないと書いてある条文がないので、したがってやっていいですと。
書いてないからやっていいと。
これでいいわけがない。

普天間移設・辺野古基地建設問題


沖国大にヘリが墜落したとき、地元の消防の権限が制限を受けた。相模原市の米軍基地での火災でも地元の消防権限が制限された。

 自治体の自治権の範囲は、どう考えても92条にあたる。これは、一内閣が決定していい話ではない、どの自治体の権限をどのように制限するかということは、法律で決めなくてはいけない。

憲法95条には、特定の地方公共団体へ適用される法律は、住民投票が必要とある。


国側は基地建設の理由を明示しないといけないが、国側は安全保障に関わる事務は地方公共団体の権限ではないと主張している。でもこれは反論になっていない。県の主張は、自治権が制限されるので、根拠法は何ですかと指摘している。