書籍 大川周明 『頭山満と近代日本』
p204)
頭山満回顧録「若し伊藤が戦争を恐れるといふなら、先づ之を斬って後露国と戦ふつもりであった。」
p206)
大川周明「此の会見は日露開戦に極めて重大なる意義を有し、政府の対露方針は殆ど之によって確定したとまで言はれた。」
p122)
「
近代日本の先駆者は、単に日本国内の政治的革新を以て足れりとせず、近隣諸国の革新をも実現し、相結んで復興亜細亜を建設するに非ずば、明治維新の理想は徹底すべくもないと確信して居た。それ故に維新精神の誠実なる継承者は、実に燃ゆる情熱を以て隣邦のことを自国のことの如く考へて来た。
頭山(満)翁は『南州先生(西郷隆盛)が生きて居られたならば、日支の提携なんぞは問題ぢやない。実に亜細亜の基礎はびくともしないものになって居たに相違ないと思ふと、一にも二にも欧米依存で暮らしてきた昔が情けない』と長嘆したが、其の大西郷(西郷隆盛)は実に下の如く言って居た。
『日本は支那と一緒に仕事をせねばならぬ。それには日本人が日本の着物を着て支那人の前に立っても何もならぬ。日本の優秀な人間は、どしどし支那に帰化してしまはねばならぬ。そして其等の人々によって支那を立派に道義の国に盛り立ててやらなければ、日本と支那とが親善になることは望まれぬ。』
」