【地震】 岡村眞 「蟹ヶ池は6500年間で15回程度津波記録を確認できた。」

kw 岡村真 高知大学 土佐市 池 7000年 16回

[1] 南海トラフの巨大地震モデル検討会(第35回)及び首都直下地震モデル検討会〔第17回)合同会議
岡村眞委員提供試料 参考試料1(12page)

http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/shutochokkajishinmodel/17/pdf/sub1.pdf

「蟹ヶ池は6500年間で15回程度津波記録を確認できた。」

[2]
第 21 回 GSJ シンポジウム「古地震・古津波から想定する南海トラフの巨大地震
地形・地質記録から見た南海トラフ
巨大地震津波(南海地域の例)
宍倉正展
産総研 活断層地震研究センター
GSJ地質ニュース Vol. 2 No. 7(2013年7月)


https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol2.no7_201-204.pdf

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http://www.mobara.jp/nisimori/newpage103.index.html

http://www.mobara.jp/nisimori/image0019.jpg

「蟹ヶ池近くの寺を襲った津波は高さ25メートルだった」

宝永地震(ほうえいじしん)は江戸時代の宝永年間に起こった、東海・南海・東南海連動型地震である。2011年に東北地方太平洋沖地震が起こるまでは、記録に残る日本最大級の地震とされてきた[2][3]。
地震の49日後に起きた宝永大噴火と共に亥の大変(いのたいへん)と呼ばれる。
江戸時代には南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、この他に慶長9年(1605年)に起こった慶長地震、および嘉永7年(1854年)の安政東海地震および安政南海地震の記録がある。またこの地震の4年前(1703年)には元号を「宝永」へと改元するに至らしめた関東地震の一つである元禄大地震があった。

南海トラフ沿いを震源

(1605年) 慶長地震 [発生場所には諸説があり南海沖(南海トラフ)単独地震説と南海沖と房総沖の連動地震説などがあり]

1854年安政東海地震および安政南海地震 [南海トラフ東側半分の東海道沖が震源域]

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1707 宝永地震 M8.6 [東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 [注 1])を震源域]
887 仁和地震 [南海トラフ沿いの巨大地震と推定される]
2000年前

https://scontent.xx.fbcdn.net/hphotos-xfp1/v/t1.0-9/19385_836028483153650_8098214312620089682_n.jpg?oh=d332ca2e8a1a551d197e0f6e4d86bc74&oe=55D52279

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○関東地震
(1703年)元禄大地震 

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2011年8月27日20時4分

http://www.asahi.com/special/10005/OSK201108270036.html

http://www.asahicom.jp/special/10005/images/OSK201108270038.jpg
「研究によると、二つの池は注ぎ込む川がなく、池底の地層は植物の根や細かい泥がゆっくりたまっていた。」

「これを今回見つかった約2千年前の砂層の厚さに当てはめると、40〜65メートルの規模の津波が押し寄せたことになる。」