佐藤栄佐久:福島原発の真実,平凡社新書(2011.6.22)

2013.11.28


@Hoboking: “脱原発”訴える元知事にカネを要求する福島県の不可解(DNB編集部) | DAILY NOBORDER http://t.co/gsMYwNAvjY

2012.10.16速報:


@iwakamiyasumi: 自民党員でありながらも、福島県民の安全を真剣に憂い、ブルサーマルに反対し、福島原発を停めようとしていた佐藤栄佐久前知事の無念。そして日本の司法の恐るべき無残さ。RT 【速報 JUST IN 】前福島県知事の有罪確定へ http://t.co/Vw3DchZT




書籍 佐藤栄佐久福島原発の真実,平凡社新書(2011.6.22)
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法律用語で「無答責(むとうせき)」という言葉がある。
戦前の大日本帝国憲法体制において、官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使で国民に損害を与えても、国家は責任を負わないとする法理であり、現在の日本国憲法の下では否定されている。

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・1999年9月30日。茨城県東海村JCO核燃料加工施設で臨界事故発生。
死亡者の被ばくは少なくとも致死量とされる0.7~1シーベルトを大きく超える8シーベルトに達していたと推定された。

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・私は基本姿勢として、「合併する市町村も、合併しない市町村も同じく支援する」という立場を打ち出した。驚いたことに、全国の知事で同じ考え方を示したのは、当時の長野県の田中康夫知事だけだった。
すると、矢祭町の根本良一町長が「合併しない宣言」を打ち出した。昭和30年代はじめの「昭和の大合併」で失敗した経験からの判断だった。

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・福島第一・第二原発の検査記録改竄については、内部告発が行われていた。
1999年の東海村JCO臨界事故を教訓に、内部告発を推奨する「内部申告推奨制度」が導入され、その第1号としてこの告発が2000年7月、通産省に届いた。
2001年に発足した原子力安全・保安院にその内部告発は引き継がれた。
しかし、通産省保安院は、内部告発が届いたとき、あるいは保安院発足で引き継がれた時点ですぐ立ち入り調査をして、告発内容を確認すべきところを放置し、さらに保安院はその告発内容を、よりによって東京電力に口頭で照会していたのだ。
「こんな告発がありましたがどうですか?」
と、調査を東電に任せ、「報告は告発内容と一致しなかった」と口を拭ってしまったのである。
しかも、保安院は、告発者の氏名などの資料を東電に渡してしまっていた
「国も東電も同じ穴のムジナ」だと思っていたが、実は国そのものが本当の”ムジナ”であることがはっきりしてきた。


・歴史まとめ
1971年3月 日本で一番古い福島第一原発1号機 運転開始
1989年 スガオカ氏 「福島第一原発1号機にひび割れ発見」
1989年 福島第2原発 ポンプ部品脱落
1998年 スガオカ氏 解雇。
1999年 JCO臨界事故死亡。
2000年6月 スガオカ氏 内部告発
2002年8月29日 データ改竄発覚。
2002年9月2日 データ改竄発覚を受け、東京電力は、
 南直哉社長、荒木浩会長、原発担当の榎本聡明副社長、
 元社長である 平岩外四那須翔相談役の辞任を発表した。
南直哉社長は、点検データ改竄への社員の関与を認めた。
そして「蒸気乾燥機に6カ所のひび割れがあったのに、東京電力の報告書には、3カ所とされていた。認められていない工法で修理したので偽ったようだ」と改竄の内容を説明した。
2004年 美浜原発3号機で4人死亡。
2005年6月29日 福島県運転再開を了承。350pageの県がまとめた報告書。
2005年9月4日 福島県主催(電力消費地である)東京でシンポジウム開催。
2006年10月28日 原子力政策大網閣議決定 電源三法交付金
2006年10月28日 青森県 核燃料中間貯蔵施設同意。
2010年3月26日 佐賀県古川知事 玄界3号機 プルサーマル容認。
2010年6月17日 福島第一原発2号機で作業員が誤ってリレーに触れたことにより電源が落ち、原子炉に冷却水を循環させるポンプが止まった。
 電源喪失は30分間続き、原子炉の水位が2メートル下がった
 非常用ディーゼル発電機が動き、冷却を再開することができた。
2011年3月11日 東日本大震災東京電力福島第一原発(レベル7)事故。

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・中央省庁トップと次官は政治家であり、それ以下は官僚である。
この事実は、日本の原発政策は官僚のものであり、政治家のコントロールには絶対に服さないという決意でやっているということをはからずも示している。
そして、この一連の騒動で改めて明らかになったのは、原発政策に福島県という地方政府が関与する余地はない。
我々の生殺与奪を握っているのは東京なのだ
「構造化されたパターナリズム」とは、霞ヶ関自治体、東京と地方の問題なのだった。


佐藤栄佐久知事&福島県職員チームと東電のバトル 核燃料税の値上げ】
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・2001年、核燃料税を上げるプランが始まった。
2000年、地方分権一括法が施行。不十分ながら様々な権限が地方自治体に付与されることになった。
その一環として、地方の「課税自主権」が強化された。
核燃料税は、ウラン燃料の価格に課税していた地方税
5〜7%を電力事業者から徴収。
ウラン燃料の価格は低落傾向で、相場の下落とともに税収が落ち込む。
電源三法交付金は(用途が箱物に限られ)運営費は自ら捻出しなければならない。
固定資産税の恩恵があるが、償却で先細りになる。
ここが、原発立地自治体の「つまずきの石」なのだった。
・核燃料税は、普通税なので使途は県が自由に決めることができる。
・当時の小泉内閣で進められた「三位一体改革」で地方交付税交付金が減額されていた。
実施税率 16.5%に対して、東京電力は激しい抵抗を示した。
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・2002年9月27日 総務省(片山)は 福島県が申請していた核燃料税率の引き上げと重量にも課税する改訂条例についての同意を与えることを決定した。

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・「安心」は断じて「サイエンス」ではない。
原発のデータや原子力政策のプロセスが透明化されて国民の目に見えるようになり、賛成、反対の意見を言い、知りたいデータを知らせてもらうことができる、民主的なプロセスの実現である。
安心とは、民主主義プロセスの保証によって、初めてもたらされる。

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1989年の福島第2原発のポンプ部品脱落事件をきっかけに、国策である原発政策を遠巻きに見るしかなかった福島県は、専門の部署を強化し、自ら情報収集、分析できる力を身につけてきた。
2002年の点検結果、改竄・トラブル隠し発覚の際には間違いのない調査能力、分析力を発揮するまでになった。

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・日本では、使用済み核廃棄物−つまり、使用済み核燃料の処分方法について、歴史の批判に耐える具体案を持っている人は誰もいないのである。

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水谷氏は取り調べの検事に「こちらの望むとおりの供述をすれば、お前の法人税違反には執行猶予をつけてやる」と言われ、賄賂だと供述したのだという。
つまり、有罪だが「賄賂がゼロ円」なのである。こんなことがありうるのか。
弁護団や法律の専門かに言わせれば、「有罪は特捜部のメンツを立ててのことで、実質無罪だ」という。
しかし、有罪は有罪であり、「有罪だが無罪」というのは論理的におかしい。社会に残るのは、「佐藤栄佐久は有罪」という厳然たる事実である。
そこで、私は最高裁に上告することを決意した。、
・2009年秋になると、村木厚子氏の郵政不正事件が起きた。
この事件で証拠のフロッピーディスクの日付を改竄した前田恒彦(まえだ つねひこ)検事は、佐藤栄佐久氏の件で、水谷氏と取引したその本人であった。

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南相馬市は「平成の大合併」で三つの町が合併してできている。
地域によっては、福島や郡山よりも放射線量が低く、非難する必要のないところもある。
もし合併が行われていなければ、それぞれの地域コミュニティで素早く判断し、避難や生活再建ができたのではないかと悔やまれる。

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・2010年6月17日 福島第一原発2号機で作業員が誤ってリレーに触れた
 ことにより電源が落ち、原子炉に冷却水を循環させるポンプが止まった。
 電源喪失は30分間続き、原子炉の水位が2メートル下がった。
 非常用ディーゼル発電機が動き、冷却を再開することができた。
それを教訓に地震、あるいは津波で同様の事態が起こるということを考えられなかったのだろうか。

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・事故の責任をとって経営者を入れ替えろというのなら、一度それに近いことを東電は経験している。
 (2002年9月2日)
・それでも今度の事故が起きたのである。
・東電というよりも経産省、そして日本の統治機構そのものが抱える問題が、今回の事故の縦糸であり、また横糸でもある。

■補足
佐藤栄作久 記者会見 (2011年04月18日)

福島県エネルギー政策検討会 「中間とりまとめ」[PDF、A4サイズ、146ページ] ←これが佐藤栄佐久元知事と優秀な福島県職員の汗の結晶。地方自治体が国や東京電力の横暴に対して戦った証だ。

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