佐藤栄作久 記者会見 (2011年04月18日)

■2011.4.24追記
佐藤栄佐久公式サイト


プレスクラブ (2011年04月18日)
佐藤栄佐久福島県知事が外国特派員協会で会見

http://www.videonews.com/press-club/0804/001839.php

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佐藤栄作

ご紹介頂きました。
以前福島県知事を務めていた佐藤栄作久でございます。
福島第1原発は、出来てことしで、ちょうど40年になるところでした。
3月26日、事故の2週間まえでございました。
(福島第一原発の営業運転開始日は 1971年3月26日)

18年間 知事として原発が次々とおこした問題に取り組みました。

私は今度の事件は起こるべくして起きたものである。
決して想定外ではなかった。
そう思っております。
(00:01:16)

何故防げなかったかについて本日はのべようと思います。
それからさき日本は原子力発電所についてどんな政策をもつべきかそれについてもお話致します。

簡潔にのべまして、なるべく多くの質問をうけたいとおもいます。
それから
今日はげんぱつのことしかはなしません。
もっといろいろとわたしには話すことがあるのですが、
それにはざっと3時間半くらいかかりますので、
興味がある方は私の本がございます。
帰って読んで頂きたい。
(00:02:29)
本題に入ります。
何故、今度の事故は防げたとわたしがおもっているか。
理由のひとつは、去年2010年の6月に起きたある事故です。
実は今度の事故とそっくりの事故が福島第1でおきておりました。
(00:03:00)
6月17日のことです。福島第1原発の2ごうきで
なぜか電源がとまり、原子炉へ水を入れるポンプがとまりました。
冷却水がはいらなくなって、原子炉内の中の水が蒸発しはじめました。
今度と同じです。
放置すると燃料棒が熱で崩れ、最悪事態に繋がる恐れが生じたのです。
(00:03:45)
東京電力の説明によると、この時は非常用ディーゼル発電機が動いたそうです。
それでポンプを手動でスタートさせ、水をもどすことができたということです。
(00:04:26)
しかし、電源を失うと何がおきるのか。
東電はこのとき意図しなかった形で予行演習をしたようなものであります。
これでもし、非常用ディーゼル発電機までやられたらどうなるかということを当然心配していなければいけない。事故でありました。
(00:05:03)
電源についてもっと安全をはかっておくことは、この事件一つを教訓としただけでも可能でした。
それが、理由の第1であります。

理由の2つめは、日本の原発政策は地震をずっと軽視してきた。ということであります。
詳しくはふれませんが、神戸大学名誉教授のいしばしかつひこさんなどが、
地震研究の進歩を踏まえ、原発の耐震基準が甘すぎると警告してきました。
(00:06:11)
こんどの地震で原子炉は自動停止し、当初は建屋はびくともしなかったからむしろ耐久力が実証されたという人がいます。しかし、いしばし教授が口をすっぱくして言っておりましたのは、おおきな地震が起きると同時にいろいろな損害がおきそれが
重なり合うと、手に負えなくなるということでありました。
(00:06:37)
現に今回も全電源喪失という事態となり、水素爆発が起きてからは作業にも支障をきたす ということになったのですから。
地震に耐えたことなど、なぐさめにもならない わけであります。
(00:07:27)
イシバシ教授は、2007年、国が原発の耐震基準をみなおそうとした時、専門委員としてその作業に関わっていました。
しかし、耐震基準を厳しくするといっても、今ある原発が引っかからない程度にするだけだ、と判った時、抗議の意味を含めて委員を辞めております。
(00:08:39)
地震の怖さ、とくにおおきな地震がいろんな損害を産むリスクを軽く見ていたこと。
そして、電源の無くなった時の恐怖は、去年の6月、事故を起こしてよく判っていたこと。
(00:09:09)


と、これだけをみましても、福島第1の事故は防げたのだと、こう言えると思います。
非常用電源を津波でも大丈夫な場所に移し替えおきさえすれば、あんな事故にならなかったのであります。
(00:09:28)


さてそれでは、どうして国や電力会社は原発のリスクに充分備えようとしてこなかったのか。
それは、安全で無いかも知れないという発想に立った政策には、まるでなっていないからであります。
あれだけ危険なものと共存して行きたいなら、リスクに最大限備えようとするのはあたりまえです。
しかし、リスクがあると臭わせることすらタブー視する傾向がありました。
(00:10:29)
つまり、日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っているのであります。

原子力発電は、絶対に必要である。
だから
原子力発電は、絶対に安全だ
ということにしないといけない。
よく、東電という会社は隠蔽体質があるとみなさん言われます。
では東電の経営者を全部変えれば直るのか?ということであります。
(00:11:29)

それから、保安院経産省に入っているからいけないから、それをだせ。
それをやるだけで直るのか?
(00:11:45)

私に言わせるととそんなことでは直りません。

福島第1原発、第2原発では、故障やひび割れはたくさん見つかっていました。
ところが、その点検記録を書き換えて、無かったことにしていたのであります。
それが判ったのは、2002年8月でした。
この時、東電では、当時の社長、会長、担当副社長それから元社長の相談役の2人、
合計5人が一辺に辞職しています。
(00:12:37)

やめた相談役の一人は経団連の会長まで務めた財界の超大物でした。
経営者を入れ替えろというのであれば、一度、東電はそれに近いことをしておりました。
それでも今度のことが起きたのであります。
(00:13:26)

日本経済に必要な電力を供給するには、絶対に原発が必要である。
もやしたできるプルトニウムは貯めすぎると外国から疑われるから、再利用しないといけない。
つまり、必要だから必要なんだ。という理屈が延々と続いていくのであります。
危ないから注意しろというと、
私のように国家にとっての危険人物とみなされてしまうのであります。
(00:14:10)

これは大変怖い理屈であります。
国会議員であろうが誰であろうがこの理屈には立ち向かえません。

そしてこれだけ、有無を言わせない。ロジックができあがると、
リスクをまともに計量しようとする姿勢から踏みつぶされてしまうのであります。

しかも事実を隠したり、見て見ぬふりをすることが、
まるで正義であるかのような、そんな倒錯した価値観までできあがる。
全ては原発推進という「おくにのため」なのであります。

こんな状態ですと、どれだけデータを見せられて、安全だと言われても安心はできません。
−−−−−−−−−−
何故なら、安心とはサイエンスではないからであります。
安心とは信頼です。違いますか?
(00:16:07)
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原発を動かしている人を国民が信頼できないと安心は無いからであります。
(00:16:21)
わたくしは今ある原発を全部止めてしまえ、という意見ではありません。
しかし、国民が原発に寄せる信頼がずたずたに壊れてしまった以上、
今のままの形で原発をつづけていくことはできないと思います。
(00:17:00)

そこで最後にこの先の原発の政策をどうすべきか。私の意見を申し上げて終わりにしたいと思います。

原子力安全委員会、という原発の安全政策の基本を決める
組織があります。
権限は、紙にかかれたものを見る限り充実しています。
しかし、実際には、ろくな審議もせず、有名無実。
まず、安全委員会を完全な独立組織とし
委員を国民から選ぶ制度にする必要があります

その際には、私は喜んで手を挙げようと思います。
(00:18:00)

北欧諸国はモチロンでございますが、ドイツやフランスは原発政策を変える時など何年も何年も議論を尽くします。
あらゆる過程に市民の声が入る工夫をしております。
(00:18:46)
「そんな悠長なことをしていると日本経済がだめになる」と、政府や電力会社は言うでしょう。
これが今日、私が申し上げた、「絶対に必要だ、だから原発は安全だ」という原発絶対主義につながるのであります。
(00:19:13)
今はありとあらゆる方法をつくして、長い長い、手間と暇をかけて、
データや紙切れの上の安全性ではなく、
信頼に裏打ちされた安心を作らないといけない時なのであります。

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日本の民主主義が試されている。と思っております。
立派なしくみを作り。これなら安全だと。世界中の人に思ってもらう必要があります。
そうしないと、ここははっきり申し上げておきますが、外国の人もお金も日本には入ってこなくなります
原発を生かして日本経済を潰す、ことになります。
(00:20:32)
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それが津波で命を落とした何千何万の人達、家を追われた何十万という人達の犠牲に報いる道でしょうか。
原発に関わる全ての人達は、この問いをしっかり考えて欲しいと思います。
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以上で私の発言を終わります。
初めての経験で、興奮して大きい声でお話を致しました。
なんなりと気軽にご質問を頂ければと思います。
(00:21:45)