後藤範章 日本大教授 : 岡山へ避難なぜ多い

http://www.sanyo.oni.co.jp/feature/shakai/iju/news/2014/03/13/20140313102046.html


岡山へ避難なぜ多い
後藤日本大教授に聞く
ごとう・のりあき 1956年長野県生まれ。日本大大学院博士後期課程修了。同大講師、助教授など経て2002年から現職。12年から全国の社会学者と取り組む共同研究「原発事故に伴う広域避難と支援の社会学―『転換後』の社会像と生き方モデルの探究」の代表を務める。

 復興庁が2月にまとめた東日本大震災に伴う避難者等の登録数は、近畿以西で岡山県が最多の1046人。全国的には減少傾向にある中で着実に増え続けている。原発事故後の社会像を研究する後藤範章日本大教授(57)=都市社会学=は、県内の避難者ら約20人に聞き取り調査を行った。「岡山県では新しい社会づくりの壮大な実験が進んでいる」と注目する後藤教授に、「なぜ岡山なのか」を分析してもらった。

 2012年から広域避難者が多い岡山県沖縄県石垣市で調査した。岡山では大震災の5日後、多様な地元住民が「おいでんせぇ岡山」(逢沢直子代表)を立ち上げた。石垣でも震災前に移り住んだ人々が、早々に避難者の受け入れを始めた。

 3年たち、2地域に大きな違いが見える。石垣の避難者は支援者に協力しているが、リーダーになるケースはほとんどない。一方、岡山では避難者が支援組織に加わるだけでなく、自ら団体を作りリーダーとなっている。

 「おいでんせぇ岡山」は、避難者らによる「子ども未来・愛ネットワーク」(大塚愛代表)など各地の新団体と積極的につながり、ネットワークを構築。行政を巻き込むことにも成功している。

 岡山が避難者を吸引する要因として温暖で自然災害が少なく原発から遠いことが挙げられるが、それ以上に調査から分かったことは支援組織に人と人をつなぐ有能なコネクター、コーディネーターが存在していることだ。

 加えて各支援団体は、ホームページやメールニュースだけでなく、フェイスブック(交流サイト)やツイッター(短文投稿サイト)などITを駆使して情報を発信している。情報ネットワークに登録すれば、遠くにいても岡山の人たちの議論を知ることができ、発言も可能。避難者は意見交換を経て、岡山を目指す傾向が強い。

 地元では「岡山県民は他人に淡泊、冷淡」と言うそうだが、都会から来る人にはその県民性がかえって心地よい。「一定の距離を持って付き合い、困っているときには助けてくれるので安心」という声が多かった。

 最も注目すべきことは、都会で地域に無頓着だった人々が、岡山に来て地域と関わり、生き生きと暮らしていることだ。「今、楽しくてしょうがない」と語った男性デザイナーは、岡山で初めて地域を意識したという。多様な人々と一緒に活動しながら能力を発揮することで、自分が社会の中でどんな存在かが分かった―と。

 災害を経験した人が、人と関わる中で眠っていた能力を開花させ、その能力は他者との関わりを経てさらに大きな力になっていく。私は「原発エンパワーメント(能力開化)」「災害エンパワーメント」と表現している。

 東日本大震災は、阪神大震災(1995年)と異なり、全国規模で人の移動を促している。岡山のように、移住者が地域の中で表に出て活躍できる環境がある地域は、震災以前とガラッと変わっていく可能性が高い。東日本から多くの人が来ている事実が浸透する中で、県民も郷土のすばらしさを再認識しつつあるはず。岡山は“地殻変動”の最中にあると言ってもいい。

 原発に対する不安を持つ人は、マスメディアが報じるよりも実際はかなり多い。経済的安定を見込める道が開かれれば、一定の集住が進むだろう。県と市町村が定住支援施策に取り組めばもっと成果が上がるに違いない。
(2014年3月13日掲載)