仁 JIN かけがえのない

2009年の第1弾も含め欠かさず見たドラマだった。

いくつか印象的なシーンを思い出す。

(1)第1弾
侍に背中を斬りつけられ瀕死の女性を仁は救う。
その女性は、かつて仁が命を救った少年の母親だった。
しかし、じきにその母親は道ばたで馬に撥ねられて亡くなってしまう。
仁は、「結局私は人の死を少しだけ遅らせているだけなのではないか」と自分の非力さに苛まれる。
無くなった母親の傍らでは、涙ながらに少年は言う
「オイラ、あの時死んでしまえば良かったんだ。」
「そうすればこんな悲しい思いをしなくて済んだ。」
仁は、何も言わずその子を強く強く抱きしめる。
まるで、自分の存在を確かめるかのように。

(2)第2弾 final
竜馬が瀕死の状態から一瞬正気を取り戻す。
傍らに寄り添う仁に言う。
「なあしぇんしぇい。にっぽんは、だーれもが笑いおうて暮らすことのできる国になったんかえ。」
仁は満面の笑みで答える「はい。」
竜馬は、仁のその答えを聞いて安らかに息を引き取る。

(3)第2弾 final 最終回
咲が病魔に冒されて昏睡する傍らで仁は必死に看病する。
咲がふと目を覚ます。
仁が言う。
「咲さんを見ていたら、官軍の方達が、江戸幕府を守るために必死になって身を投げ出して戦う気持ちが分かったように思います。」

「かけがえのないものを失うくらいなら、いっそのこと自分も無くなってしまってもいいのかな。そう思ったんです。」

そう言って仁は、咲を引き寄せ、強く抱きしめる。

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この3つのシーンは今思い出しても、胸が苦しくなって涙が溢れてくる。

かけがえのない存在 それが仁の底流に流れるテーマだと思う。

(1)を見ても決して東日本大震災をきっかけにテーマに据えたとも思えない。

かけがえのない存在。
東日本大震災の後、福島第一原子力発電所の事故により、それまで営んできた畜産業を断念した男性が自殺をした。
その男性にとって飼っていた動物たちはどんなに可愛いかけがえのない存在だったろう。
「かけがえのないものを失うくらいなら、いっそのこと自分も無くなってしまってもいい」そう思ったのだと想う。祈冥福。

人は誰かのために生きているようでいて、実はその誰かに生かされている。
相手が自分の存在意味を生み出している。
じつは、自分と言う存在は関わりという糸の結節点でしかない。

仁は、(1)で少年を抱きしめることで、心の中でこうつぶやいていたのかも知れない。
「あなたは生きて欲しい。私はあなたが居てくれてうれしい。」
仁だからこそ、その言葉が少年に伝わる。

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2000年の5月だった。愛知県豊川市で老婦人を殺害した17才の少年が居た。
その事件に連鎖して佐賀県でバスジャックをした17才の少年が居た。
近年では、秋葉原で無差別殺人を起こした青年が居たことも記憶に新しい。
彼らを強く抱きしめて「あなたは生きて欲しい。私はあなたが居てくれてうれしい。」と伝える。それをきっかけに犯罪を思いとどまってくれるような関係性を我々の社会が創り上げる努力をしてきたのか。

あの時、そう問われたのだ、と、私は受け取った。
そういう社会をあなた方大人は創ってきたのかと。問われた気がした。

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東日本大震災以降、「絆」がキーワードだ。
TV番組では「家族」ブームでもある。
芸能人たちが何のためらいもなく親への愛情を語る。

共通しているのは、かけがいのない関係を自分の身の回りに築くことが、じつはしあわせを感じることのできる第1のステップなんだとみんなが気付き始めたからじゃないだろうか。
だれかとの比較で自分の立ち位置を決めるのではなく。
だれかよりも「まし」な場所に居る自分に優越感から来る幸福を感じるのではなく。
かけがえのないものとの関わりの中に、自分の生き甲斐や安心や肯定感を持つ生き方。

そんな時代が始まろうとしているのかも知れない。

仁を見終えてそんなことを思っている。