[高野孟のTHE JOURNAL:Vol.410]子どもの楽園ではなかったのか

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9月2日(月)

【子どもの楽園ではなかったのか】
 毎日のように子どもの虐待のニュースが流れ、胸が潰れる思いであ
る。江戸末期から明治にかけて日本を訪れた外国人は口々に、日本ほど
子どもを大事にしている国は他にないと感嘆の声をあげていて、その例
渡辺京二の名著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、05年刊)
の第10章「子どもの楽園」に収録されている。

▼路上で遊ぶ子どもが馬や乗物をよけないのは、大人から大事にされる
ことに慣れているからである。日本ほど子どもが、下層社会の子どもさ
え、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、
小髷をつけた子どもたちが、結構家族全体の暴君になっている〔ネット
ー〕。
▼私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界
中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い
注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子ども
たちは朝から晩まで幸福であるらしい〔モース〕。
▼われわれの間では普通、鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそうい
うことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである
フロイス〕。
▼この国ではどこでも子どもを鞭打つことはほとんどない〔ツェンペ
リ〕。
▼イギリスでは近代教育のために子どもたちから奪われつつあるひとつ
の美点を、日本の子どもたちは持っている。すなわち日本の子どもたち
は自然の子であり、かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大
人ぶることがない〔オールコック〕。

 まだいくらでも引用を続けられるが、かつて日本はこういう国柄で、
それは私たちが子どもだった昭和20~30年代までさほど変わらなかった
ように思う。

 私は2歳から22歳まで、世田谷・下北沢の駅から5分ほどの住宅街で
育ったが、道路はまさに子どもの遊び場で、たまに通る自動車や荷車は
跳ね回る子どもたちに遠慮しながらソロソロと抜けていくのが当たり前
だった。親からは、鞭はもちろんのこと、げんこつで殴られたことも平
手で打たれたこともなく、中学でMという“カボチャ頭”の教師に張り
倒されたのが生涯で唯一体験した暴力的制裁だった。

 この50年ほどの間にこの国は一体、何を失ってしまったのだろうか。

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