松本サリン事件 当時の報道 in松本市

1994.6.29-1994.7.4


松本サリン事件 当時の報道 in松本市

#282 [94/06/29 05:13] QxG00xxx よいしょ! 中毒死
今朝のTVを見てて、思わず釘付けとなってしもうた。マンションの住民が吐き気をもようし 何名か死亡というNEWSしかも、車で20分くらいの松本市内のニュース。

今夜の情報では、近くの住民が市販の薬品をブレンドして発生した「有機リン」系の物質が付近に蔓延したことが原因らしい。

防犯のためにたまたま窓を締め切っていた1階の住民は、何事も無く一晩を過ごしていた。被害は窓を開けていた2階〜4階の住民。川のアメリカザリガニさえ死に、植物も変色していた映像を流していた。
リアルじゃあ。

今、郵便受けに入った『松本市民タイムス』によると最初に通報した人が、「農薬を作ろうと一般でも入手できる薬品を調合していた」人で河野義行さん(44)。職を点々としていて、最近はミシン会社に勤めていた。中毒死亡者は7名。

朝日新聞の社会面にある地図の内、河野さん宅は、「開智ハイツ」の西に隣接、魚が死んでいた池の北の住宅。

事故の有った北深志は、松本の中心をすこし北にはずれた住宅街。「深志高校」は、松本の名門高校みたい。


#284 [94/07/04 06:06] QxG00xxx よいしょ! 毒ガスその後
松本毒ガス事件レポート1(94/07/04)
どうも事件が解らなくなって来た。今までの情報を整理すると...私も暇ね(^^;)

■事件翌日
D_01:朝日新聞,1994/6/29(水),1面
[ これまでの捜査では、会社員は(第1通報者の河野氏のこと、注:一ノ瀬)薬品の扱いに多少知識があり、数種類の薬品から農薬を作ろうとしているうちに、調合を間違え、毒性のガスが大量に発生したらしい。農薬は庭の除草のために使おうとしていたという。]

D_02:一ノ瀬の記憶,NHK朝7時のニュース,1994.6.28(火)
{ 第1通報者の会社員は、救護員に運ばれる途中『妻と殺虫剤を作ろうと農薬を調合する内に白い煙が上がった』と言っていた。}
※NHKって朝のニュースの文面をNIFTYにでもログを残してくれないかなあ。

D_03:松本市民タイムス(tel.0263-47-7777,fax.47-8585),94/06/29(水),1面
[ 協立病院に入院した河野さんは28日、朝方は熱が36度台だったが、時間がたつにつれて38度台に上がり、かなり動揺している様子で、見舞いに駆けつけた人も話がよく聞き取れない状況だった。関係者によると、河野さんは入院している夫人を気遣い、「妻には植物人間になっても生きていてほしい」と話していたという。河野さんはことし一月にも仕事を変えるなど、かなり転々としていたらしい。親戚や近所との付き合いなどは少なく、「よく知らない」という人が多かった。]

D_04:松本市民タイムス,94/06/29(水),24面
[「胸が苦しいと」第一報
松本広域消防局に事故の第一報が入ったのは27日午後11時9分、松本市深志1の河野義行さん宅から「家人が胸が苦しいと言っている」というものだった。救急隊員が駆け付けると、義行さんと娘も同じような症状だった。驚いた隊員は松本署に連絡。署員が河野さん宅に急行したところ、署員も動揺な症状に陥った。]

■5日後
D_05:朝日新聞,1994/7/4(月),1面
[ 捜査本部は「百パーセント、サリンではないが、サリンと推定される」と発表した。サリンが検出されたのは、捜査本部が被疑者不祥のまま殺人容疑で家宅捜索した会社員宅の池の水と、庭にあったバケツの中の水、それに隣接する明治生命寮3階のふろの洗面器内の水。県の衛生公害研究所と、県警が検査を依頼した警察庁科学警察研究所で調べていた。]

D_06:朝日新聞,1994/7/4(月),1面
[(一部略)押収したプラスチック容器や金属製ボウル、スプーンなどからは、サリンが発生するような薬剤調合の痕跡はでていないという。]

D_07:朝日新聞,1994/7/4(月),1面
[ 会社員は弁護士を通じ、「薬品は趣味の写真の現像用にそろえたもので、最近は使っていない」と有毒ガス発生への関与を強く否定している。]

D_08:朝日新聞,1994/7/4(月),22面
[ 「毒ガス兵器だとは・・・・・・」。信州大学経済学部2年の長男の裕太さん(19)(中略)母親は事件の1週間前、「目がしょぼしょぼする。のどが痛み、手足もしびれる」と電話で訴えた裕太さんの言葉が頭から離れない。「その時も毒ガスだったのではないか」と母親は悔やみきれないでいた。]

D_09:朝日新聞,1994/7/4(月),23面
[ 今回の事件で注目されるのが、4月に発行された「みどりの刺青」(ジョン・アボット著、福武書店)という小説だ。暗殺者がサリンを自分で作り、ブッシュ米大統領を狙う筋書き。主人公は「材料をそろえるのは簡単なこと」と、薬品会社からある種のアルコールとアミン、殺虫剤を特に問題もなく取り寄せる。必要な道具類は近くの店で買い集め、隠れ家の台所で、中毒を防ぐためにゴム手袋とゴーグルをつけて調合すると、1時間ほどで、致死量の数万倍のサリンが出来上がる。
 「作者おぼえがき」の中でアボット氏は「原料の3種類の薬品を電話で注文したら実際に送られてきた」とし、その気になれば、過程でもサリンを作れることをほのめかしている。ただ、悪用されるのを恐れたせいか、殺虫剤の具体名は明かしていない。]

■その他情報
D_11:一ノ瀬の記憶,731部隊展,94/06/26,松本勤労者福祉センター
{ 森村誠一悪魔の飽食』で有名になった、石井四郎氏が創設した第731部隊関東軍防疫給水部)を支えていた軍医学校が、昭和20年始めに長野県の様々な地域へ疎開してきている。出典資料は展示パネルで手元に今無い。}

■仮説と検証
仮説1:「河野氏サリンを調合しようとした。」
×否定情報(2/11):D_06、D_07
方針:河野氏サリン調合方法を知る可能性の検討。書籍、ビデオ、パソコン通信

仮説2:「旧軍部が所有していたサリンが流出した。」
×否定情報(2/11):D_01、D_02

■思うこと
212人の被害者(死者7人、入院44人)を出した今回の事件。まさしく、科学技術による被害と思う。ささいなことが重大な事件に発展する原因は、科学技術の<知識集約性>にある。ボタン一つを押す力で世界を破壊できる核技術をいい例として、今回の騒ぎの物質的な原因である<サリン>は、<ある衝動>で創造力を行使した個人または<組織>が作り出した物。

731部隊の千葉出身の石井四郎氏が、細菌兵器を思い立った理由の一つは、アインシュタインルーズベルト大統領に手紙を送った理由と同じだった。つまり、<外部>への恐怖心。<鬼>への恐怖心。<人非人>への恐怖心。

一方終戦当時、沖縄の渡嘉敷島では、この恐怖心で、自決したらしい。最も愛する肉親をこの手で絞め殺すこの世の地獄絵。

せめて、これを読む人達に伝えたい。情報を処理する技を身につけて欲しい。噂に惑わされず、TVに躍らされず、確かな<手応え>をもとに行動するように。
基本は、
(1)情報源を辿ること。
(2)誰でもいつでも<辿れる発信方法>をこころがけること。


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