ふたつの太平洋戦争


ふたつの太平洋戦争
2014.6.5
http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89/

「ドキュメンタリのインタビューに答える元アメリカ人兵士たちの口からは
The Japanese didn’t know how to lose. (日本人は負け方を知らない)という言葉がよく出てくる。
くだらないことをいうと英語がわかるひとは「the Japanese」に注意するとよいが、「文明人ではないんだ」というニュアンスの点で、かなり「うんざりだ」という感じの言葉です。」


ドイツの降伏(5月8日)は沖縄戦でいうと日本軍第32軍の反転攻勢の最中で、特攻作戦では菊水5号、第6次航空特攻総攻撃の真っ最中です。
沖縄戦を通じて、アメリカ兵たちにとって、ひいては全アメリカ人にとって最もおおきな喪失はアーニー・パイルの死だが、The Ernie Pyle billを生んで底辺の歩兵たちを大喜びさせた写真家は、すでに4月18日に伊江島で日本軍の機関銃によって殺されている。


日本語と英語と、両方から太平洋戦争の歴史を追ってゆくと、「ほんとうに同じ戦争の話だろうか?」と思うことがよくある。


たとえば空の戦争で言えば、話がかみあっているのは、ガダルカナル島の上空で日米のパイロットが死闘を繰り広げていたころまでで、アメリカ人のパイロット たちは日本の戦闘機パイロットの操縦技量の素晴らしさに舌をまき、日本のパイロットたちはアメリカ人パイロットの無茶苦茶な闘志と勇気に感動している。


完全に追い詰めた敵でも、弾丸がつきれば、翼を振って相手の回避操縦の腕前に敬意を表して別れ、伝説を信じれば、敵基地の上で零戦3機が揃って宙返りをして挑発をする。
そこにあるのは「ひとつの戦争を戦う敵味方の戦士の姿」である。
そこだけが符丁があっていて、


http://joefig.exblog.jp/17603601/

第二次世界大戦時、アメリカ軍の北アフリカ戦線やイタリア戦線といった前線で戦う兵士たちの郷愁と苦悩に満ちたリアルな様子を、従軍記者の視点から描いたドキュメンタリータッチの戦争映画。

主人公である従軍記者アーニー・パイルは実在の人物で、前線で続けた取材により1944年にピューリッツァー賞を受賞しており、そのことは劇中でも語られています。
本作はそのアーニー・パイルの著書 “Brave Men” (邦訳 『勇敢な人々─ヨーロッパ戦線のアーニー・パイル』;ハヤカワ・ライブラリ;1969年) や “Here is your war” (「ここに君たちの戦いがある」;おそらく邦訳は 『これが戦争だ─兵隊ジョー』;養徳社;1951年) をベースとしています。


1960年代のTVシリーズ 『コンバット!』 と共に人気があった 『ギャラント・メン』 はやはりアーニー・パイルをモデルにした従軍記者の視点から描かれる戦争もので、劇中で本作の戦闘シーンの映像も使われているそうです。

comment


1 on June 9, 2014 at 3:50 pm said:

カミカゼに対する嫌悪感。それはわかります。あんなものが正しかったとは思わない。
しかし、「原爆が投下されたから多くの人命が救われた」というのは、多くの人命=アメリカ軍人の命だと認識していました。他国民より自国民の命を優先するのは当然です。ですが、国や軍の研究部としては「生体実験」という側面もあったと思います。有効な兵器を作り敵を殺し自国を守るのが軍の目的ですから。また、当時白人至上主義でそれ以外の人種はすべて植民地、奴隷としようとしている国だというイメージを日本はアメリカやイギリスにもっていたと思います。今までそうやって搾取して大きくなった国という歴史がありますから。そして今でも植民地だった国は貧しいですよね。他国の奴隷にされ、それこそ人間以下の扱いをされ搾取されることを防ぐには日本が弱小国でなく、「怒らせたら不味い国」「戦争をすることが不利益な国」だと示さねばなりません。
実際日本がアメリカとの戦争を回避したかったのに、日本からしたら到底のめない理不尽な要求「ハルノート」をつきつけられて戦いを余儀なくされました。戦争の発端は
日本が脅威とされない、所詮ほかの今まで奴隷にしてきた人種と同じだと見下されたことです。日本は彼らにできる限り損害を与えて強さを示さなければ、彼らの奴隷にされてしまうと思い、ボロボロだった日本軍にできる最後の抵抗が「カミカゼ」だったのだと思います。もちろん道徳的観点からしたら許されないことです。しかし、ありとあらゆる道徳を守って行う戦争なんてありません。そしてカミカゼをしないですむ選択肢があるほど日本が豊かな国でなかったのも原因ですね。やらねばならないことが能力の許容範囲をこえてしまい、このような非道な手段になってしまったのでしょう。正義なんて相対的なものですから、自分の判断基準がすべて正しいと思っている単純なアメリカ人らしい話だなとこの記事を読んで感じました。真実はひとつではありませんから、ふたつの太平洋戦争のままで大変結構だと思います。

Tamotshu Hashimoto-Gotoh on August 4, 2014 at 7:35 pm said:


ルーズベルトから天皇にあてた戦争回避のための親電は真珠湾攻撃が始まるまで、一士官の判断で秘匿されました。そういうことが、士官レベルの判断で出来たような日本軍だったのです。外務省も在米日本大使館も無視し、天皇さえ無視できるような皇軍が戦争に勝てる道理はありません。ミドウエイ後はほとんどの機動部隊、空母を失って敗北は必死となり、近衛さえもう敗北は避けられないから余力があるうちに降伏したほうがよいと天皇に進言しても、もう一戦勝ってからだと退けた昭和天皇には開戦の責任は無くても、敗北を意図的に遅くした責任はありません。あのときにソ連に頼ったり、新型爆弾(原爆)開発にアメリカが成功していたという情報も在スペイン日本大使館から入っていたのに、その情報も無視され、神風特攻隊という外道の作戦を立て、昭和天皇さえその時に始めてそこまで戦況が悪いのかと初めて悟ったそうです。近衛が進言したときに降伏を受け入れていたら、東京大空襲も、沖縄戦も、広島、長崎、対馬丸沈没、満州開拓民の悲劇もなかったのですから、昭和天皇の責任は大きいと思います。