8月9日に思う 鎌田みのる


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放射線は見えない、匂いも無い、そして色も無い、だからこそみんな不安なのである。茅野市白樺湖に夏休みを利用して、福島からやってきた15歳の女の子が「私はお嫁にいけるでしょうか」「そしていつか子どもを産めるでしょうか」と泣きながら訊いて来た。子どもたちだって不安なのである。お母さんもその子の傍らで何も言うことができず、とてもつらそうだった。

20世紀型の経済至上主義おやじたちの不安はよく分かる。国民全体の納得ももちろん大事である。少し時間がかかってもよい。でもドイツに負けないようなスピードで原発を無くすべきである。

2006年に亡くなった 若月俊一 が立ち上げた佐久総合病院。
project-Xでも有名になった。
病にかかった患者を治すことを医療の目的とせず、全国に先駆けて農家地域に集団定期検診を導入し、予防医療の概念をいち早く導入した。
宇宙飛行士若田さんの医療を支える私の知人は、かつてこの病院で研修し若月さんの薫陶を受けた。尊敬される存在だった。
鎌田みのるさんは、若月俊一が亡くなった時に、
「(長野県の)東に若月さんが居る。私は南でがんばる」と自負していた、と語った。
長野県の医療事情が全国的に見て「良好」だとしたら、お年寄りが高齢になっても自分の畑を持ち農業を続ける土地柄とこの若月さんらの努力による賜である。

戦後生まれの世代は、学生運動に明け暮れた世代でもある。
鎌田さんが故郷でもない信州(いわば僻地だ)にやってきたのは、その答えを求めて実践するためだったようだ。

学生運動をした世代は、当時のマインドをどこに置いて来たのか。

学生運動をした世代で、当時のマインドをずっと堪えて、持ち続けた人が今、改めて発言する。その言葉を聞きたいと想う。