カレル・ヴァン・ウォルフレン


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■ 『中央公論2010年4月号
日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎   
訳: 井上 実


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カレル・ヴァン・ウォルフレ
Karel van Wolferen
日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎

中央公論2010年4月号
日本政治再生を巡る - 権力闘争の謎   
訳: 井上 実


・各地で戦争が勃発し、経済は危機的な状況へと向かい、また政治的な機能不全が蔓延するこの世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬ この日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。ところがその予測しがたいことが現実に起きた。初めて信頼に足る野党が正式に 政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行うと宣言したのだ。

・一九九三年のごく短い一時期、行政と政治的な意思決定が違うことをよく理解していた政治家たちは、日本に政治的な中心を築こうと改革を志した。

・小泉の改革は、残念ながら見掛け倒しに終わった。

民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。

山県有朋(一八三八〜一九二二年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)

山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、その後、一九三〇年代になって、軍官僚たちが無分別な目的のために、この国をハイジャックしようとするに至る方向へと進化していったのである。

・この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。

・彼らが旧来のやり方を変えようとしないからこそ、ロシアとの関係を大きく進展させるチャンスをみすみす逃すような悲劇が早くも起きてしまったのだ。北方領 土問題を巡る外交交渉について前向きな姿勢を示した、ロシア大統領ドミトリー・メドヴェージェフの昨年十一月のシンガポールでの発言がどれほど重要な意義 を持っていたか、日本の官僚も政治家も気づいていなかった。

・そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。

・それは日本の官僚機構に備わった長く古い歴史ある防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。

・ひとりの政治家に集中し、その人物がシステム内部のバランスを脅かしかねないほどの権力を握った場合、何らかの措置を講ずる必要が生じる。田中角栄

・起業家が非公式なシステムや労働の仕組みを脅かすほどの成功をおさめるとなると、阻止されることになる。堀江貴文

・いまから一九年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。その中で、日本のシステム内部には、普通は許容さ れても、過剰となるやたちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結 論づけた。

・当時、何ヵ月にもわたり、株取引に伴う損失補填問題を巡るスキャンダルが紙面を賑わせていた。罪を犯したとされる証券会社は、実際には当時の大蔵省の官僚 の非公式な指示に従っていたのであり、私の研究対象にうってつけの事例だった。しかしその結果、日本は何を得たか? 儀礼行為にすぎなくとも、日本の政治 文化の中では、秩序回復に有益だと見なされるお詫びである。そして結局のところ、日本の金融システムに新たな脅威が加わったのだ。

平沼騏一郎(一八六七〜一九五二年、司法官僚・政治家)である。彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。

・オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。

・日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせてきた。誰を起訴の標的にするかを決定するに際しての彼らの権力は、けたはずれの自由裁量によって生じたものである。

・ところで日本にはさまざまな税に関する法律に加えて、きわめてあいまいな政治資金規正法がある。検察はこの法律を好んで武器として利用する。

・検察官たちは絶えず自分たちが狙いをつけた件について、メディアに情報を流し続ける。そうやっていざ標的となった人物の事務所に襲いかかる際に、現場で待機しているようにと、あらかじめジャーナリストや編集者たちに注意を促すのだ。捜査が進行中の事件について情報を漏らすという行為は、もちろん法的手続き を遵守するシステムにはそぐわない。しかし本稿で指摘しているように、検察はあたかも自分たちが超法規的な存在であるかのように振る舞うものだ。

・日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場にあるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の 幹部編集者の思考は、高級官僚のそれとほとんど変わらない。

・タイ軍内部の派閥抗争にかけて、日本人記者に匹敵する識見をそなえていたジャーナリストは他にいなかったからだ。

・そして山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。小沢がいなかったら、一九九三年の政治変革は起きなかっただろう。あれは彼が始めたことだ。小沢の存在なくして、信頼に足る野党民主党は誕生し得なかっただろう。そして昨年八月の衆議院選挙で、民主党が圧勝することはおろか、過半数を得ることもできなかったに違いない。

・小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在 しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。

アメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。

・沖縄にあるアメリ海兵隊の基地移設問題は、アメリカ政府によって、誰がボスであるか新しい政権が理解しているかどうかを試す、テストケースにされてしまった。

・昨年の十二月から今年の二月まで、大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもしたあげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるか のように責め立てていると、筆者には感じられる。小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家で あれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者にし、それを正当化するほどの重要 性など全くない。しかも検察は�疑不十分で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。なぜそれをこれほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、 全く理解に苦しむ。検察はバランス感覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。

・日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。

オバマとその側近たちは、安定した新しい日米の協力的な関係を築くチャンスを目の前にしておきながら、それをみすみすつぶそうとしている。それと引き換えに彼らが追求するのは、アメリカのグローバル戦略の中での、ごくちっぽけなものにすぎない。

もし鳩山内閣が道半ばにして退陣するようなことがあれば、それは日本にとって非常に不幸である

・もし、またしても「椅子取りゲーム」よろしく、首相の顔ぶれが次々と意味もなく代わるような状況に後退することがあっては、日本の政治の未来に有益であるはずがない。

民主党の力を確立するためには、当然、何をもって重要事項とするかをはき違えた検察に対処しなければならず、また検察がリークする情報に飢えた獣のごとく群がるジャーナリストたちにも対応しなければなるまい。

もし検察が「同じ基準を我々すべてに適用するというのであれば」国会はほぼ空っぽになってしまうだろう、という何人かの国会議員のコメントが報じられていたのを筆者は記憶している。

アメリカはこれまでも日本を、外交には不可欠な前提条件であるはずの真の主権国家だとは見なしてこなかったからである。

第二次世界大戦後の占領期、アメリカは日本を実質的な保護国(注:他国の主権によって保護を受ける、国際法上の半主権国)とし、以後、一貫して日本をそのように扱い続けた。

今日のアメリカは戦闘的な国家主義者たちによって牛耳られるようになってしまったからだ。アメリカが、中国を封じ込めるための軍事包囲網の増強を含め、新しい世界の現実に対処するための計画を推進していることは、歴然としている。そしてその計画の一翼を担う存在として、アメリカは日本をあてにしているのである。

・筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。とりわけ日本がどれほど米ドルの価値を支えるのに重要な役割を果たしてきたかを考えれば、そう思わざるを得ない。

・前述のクリントンとゲーツが日本に与えたメッセージの内容にも、姿勢にも、日本人を威嚇しようとする意図があらわれていた。

・日本が五月と定められた期限内に決着をつけることができなかったとしても、日本に不利なことは何ひとつ起こりはしない。